2015年5月5日火曜日

【朝日新聞の社説で、旗揚げ街頭募金が紹介されました!】

(社説)子どもの貧困 大人一人ひとりが動こう
 2015年5月5日

 日本の子どもの今を考えるとき、見過ごせない数字がある。
 16・3%。
 子どもの貧困率である。
 6人に1人が貧困であることを意味している。貧困率とは「世帯収入から国民一人ひとりの所得を試算して順番に並べたとき、真ん中の人の所得の半分に届かない人の割合」をいう。
 ひとり親など大人が1人だけの世帯の貧困率は、5割を超える。先進国の中で最も高い水準だ。
 親を亡くした子どもたちを支援する「あしなが育英会」が、奨学金を受けている高校生にアンケートをしたところ、こんな声が寄せられた。
 「正直あした食べるご飯に困っている。早く自立できたらと何度もふさぎこんだ」
 「学校では食べずにガマンしている。友達といるとお金がかかるのでいつも一人でいる」
 貧しさは、子どもの責任ではない。子どもの貧困から目を背けてはならない。

 ■不十分な政府の対策

 安倍政権は子どもの貧困対策法の成立を受け、総合的な対策を進める大綱を昨年、決めた。
 しかし、ひとり親家庭への児童扶養手当を増やすことは、財源不足などを理由に見送られた。また、子どもの貧困率を下げる数値目標もない。
 政府は民間資金を核とした対策基金をつくる。官民挙げての取り組みは大切ではあっても、将来を担う子どもたちの生活を下支えし、不平等をなくすのは政府の役割だ。「国民全体で負担し、支え合う」という、税制や社会保障政策の出番である。
 その意味で疑問を感じるのが贈与税の非課税枠の拡大だ。
 祖父母や親が、子や孫に教育資金を渡した場合、さらには結婚や出産、子育て用のお金を贈った場合、一定額までは課税されない。
 経済の活性化を狙った対策で、ゆとりのある家庭には恩恵が大きいが、家庭間の不平等を広げかねない危うさをはらむ。再考が必要ではないか。

 ■おせっかいの勧め

 子どもの貧困を解決するうえで政府の役割と責任が大きいとはいえ、それを待ってはいられない現実がある。
 いま、目の前にいる子どもを救うために、大人が手をさしのべることはできるはずだ。
 実際、放っておけないと、各地で人々が立ち上がっている。東京都豊島区のNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」もその一つだ。
 夜、家で独りいる子に居場所を用意する「夜の児童館」、1食300円で食事を出す「子ども食堂」、宿題を教える「無料勉強会」、朝、街角で空腹の子にバナナを配る「おはようバナナ」……。
 子どものピンチを知るたびに、メンバーはあの手この手を考えてきた。
 このネットワークは「子どもにおせっかいをしよう」と呼びかける。
 おせっかいは、される側は「踏み込んでほしくない」と考える。する側も「余計なお世話では」と遠慮しがちだ。それが貧困を見えにくくしている。
 同じマンションのエレベーターで子どもと乗り合わせたとき、あいさつをし、世間話をする。そんなささいなことからでも、顔見知りの関係が始まり、外には現れにくい貧困に気づくきっかけになるかもしれない。
 活動している団体に募金をする、という関わり方もある。ちょっと気になる子どもがいるなら、近くの民生委員に話をしてみるのもいい。市町村には、子どもに関する相談を受け付ける窓口もある。

 ■支える連鎖を生もう

 大人が関わることで、子どもを支える連鎖も生まれる。
 母子家庭で育ち、ネットワークの食事会に通う中1の女子生徒は話す。
 「ご飯を作ってくれる人がいる。声をかけてくれる人がいる。私、いま、生きてていいんだと思うようになった。今度は私が困っている子を守る番」
 彼女はネットワークのマークを考えた。ほおにハートのマークをつけたピンク色の「おせっかえる」である。
 おせっかいをされた子は、大人になって次の子におせっかいを返す。だから「おせっかえる」なのだという。
 奨学金を受けてきた大学生たちも、支援活動に加わっている。民間団体の有志らが集まり政策を提言する「子どもの貧困対策センター」。その設立に向けた募金活動を5日に行う。
 「自分らのように子どもに寄り添ってくれる大人と出会えるようにしたい」と彼らは話す。
 きょうはこどもの日。
 子どもは、これからの社会を担う存在だ。彼らを支えれば、未来も変わる。
 少しだけ、おせっかいになってみよう。大人になっても貧困から抜け出せない「貧困の連鎖」を断ち切ることにつながるかもしれないのだから。

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